2020年はGoToトラベルを活用して、沖縄旅行を経験したところですが、GoToトラベル活用第2弾として、北陸旅行に行ってきました。この文章を執筆している今現在は、もはや旅行を積極的に行けるような状況では無いと感じています。
北陸旅行を決断し、観光した時期は、第3波として、感染者が急増する前に行くことができたと思っています。今回は当時の様子を、旅の思い出としてレポートします。
はじめに
東京都は2020年12月31日、過去最多の1337人(前日944人)の新型コロナウイルス感染者が確認されたと発表しました。また、2021年1月2日、東京都と埼玉県、千葉県、神奈川県の各県の知事は、西村経済再生担当大臣と面会し政府に対し緊急事態宣言を発出するよう要請しました。
世界的な感染拡大を受け、政府は2020年12月28日から2021年1月末までの間、全ての国・地域からの外国人の新規入国を拒否すると発表しました。より感染力が強いとされる変異種も既に確認されており、見えない敵との戦いを余儀なくされ、不安感は日に日に増しております。
こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、GoToトラベルキャンペーン全国一斉一時停止が決定されています。2020年12月28日から2021年1月11日までの間は、全国一斉に運用が停止されています。
旅行中の感染対策
うがい手洗い、マスクの着用、三密を避けることはもはや当たり前のこととなりましたが、自分の身の回りで手で触るものについては、アルコールのウエットティッシュで拭くことを徹底しました。アルコールの濃度が80%程度のものが、殺菌効果が高いとされていますので、旅行中はこの濃度のものを利用しています。
宿泊のホテルの朝食では、バイキングなどで食事を皿に取る際は、ビニール手袋の着用が当たり前になっています。密を避けるために時間指定制にしているところもありました。
でも、何より大切なのは自分の体調に敏感になることかなと感じています。無理をせず、疲れを翌日に残さないようにすることが一番で、その次に、居酒屋等の空間はできるだけ避けるのがコロナ禍では良いのかなあとは感じています。
旅行場所の選定プロセス
自分の行ってみたいスポットがあるところ、馴染みの薄い地域、秋に訪ねるのに気候が良いところ、感染者数が少ない地域が良いと考えました。「黒部ダム」や「古都金沢」にぜひ行ってみたいという気持ちがあったため、北陸地方を旅行することを決意しました。
実は、長崎(ハウステンボス、軍艦島、諫早湾)や愛媛(道後温泉等)なども候補地として考えてはいました。今回は首都圏からのアクセス性を考慮し、北陸地方としました。
当時は、沖縄旅行から帰還してから、再び旅行に行きたいという気持ちが芽生えていて、新型コロナウィルス感染者数も一旦沈静化した時期でした。その頃、GoToキャンペーンが再び活発になり、旅行会社は非常に盛況していたため、詳しい話しを聞きたくても、相談の予約すらなかなか取れないような状況でした。
旅程
3泊4日の旅行にしました。自分の中で「黒部ダム」と「金沢」はマストでした。この2地点は必ず行き、さらにその周辺地域も訪ねることを考えたとき、行きと帰りを異なる経路にすることが、最も効率的であると判断しました。北陸新幹線で東京と金沢の往復を基本経路とした場合、「黒部ダム」に行くにはどうしても、時間的な無駄が生じてしまうのです。
このため、行きは新宿から中央線の特急で信濃大町を経由し、「立山黒部アルペンルート」で富山入りをし、富山で1泊し、富山からは新幹線で金沢へ、金沢を拠点に同じホテルで2連泊し、金沢市内、福井県、能登半島をレンタカーで観光し、帰りは北陸新幹線で帰宅という計画にしました。つまり、富山県、石川県、福井県を4日で巡る旅になります。
1日目(立山黒部アルペンルートで山岳観光)
新宿駅を午前8時出発のあずさ5号に乗車しました。この電車に乗ると、午前11時15分に信濃大町駅に到着することができます。そこから、路線バスに約40分乗り、扇沢駅まで向かいます。
ここからが、本当の意味での観光の目玉になります。長野側から北アルプスを貫き、富山入りをすることになります。電気バス、ケーブルカー、ロープウェイなど、いろんな交通手段を使って、山越をしなければなりません。山越をした後も、約60分かけて、立山駅から富山駅までの鉄道の旅があります。
ですので、荷物は少ない方がよく、最低限の小物と着替え1着のみをリュックサックに詰めて、残りの荷物は出発する前に、宅急便で金沢のホテルに送っておきました。
「黒部ダム」を見学するにあたっては、映画「黒部の太陽」(石原裕次郎主演)を事前に自宅でAmazonプライムで視聴してから旅行に行きました。この映画では世紀の難工事と言われた、黒部ダムの建設やそれに関わるトンネル工事の苦闘が描かれています。
「黒部ダム」が完成したのは1963年ですから、既に60年近くも経過していることになります。立山の標高は3015mなので、富士山と比べても引けを取りません。
標高3000m級の峰々が連なる北アルプスの険しい山を越えるには、急峻なところはロープウェイとケーブルカーで、それ以外のところは、トンネルを掘ったり、道路を建設するなどして、地形に応じた方法で、ルートを作ったものと思われます。道路と鉄道のみでは、このルートは貫通できないくらい険しい地形であったことを意味するものと感じています。
上記の画像を見ても分かるように、山越えをするために、それなりに時間と距離がかかります。乗り換えに失敗すると、富山駅に着けなくなるので、旅行中は時間管理に神経を尖らせてはいましたが、黒部ダムの観光時間と、黒部湖から乗るケーブルカーの出発時刻を気をつけていれば、あとはベルトコンベアー式に進めますのでそんなに心配はいらないかもしれません。
但し、時刻表は季節によって若干異なるようなので、注意が必要です。
人が建設した「黒部ダム」の高低差と北アルプスの雄大な自然は圧巻でした。山頂付近では雪景色となっており、立山高原バスのバス内の窓越しに見える弥陀ヶ原の景色は強く印象に残っています。
機会があれば、次回は今回と逆ルート(富山→長野)で通過するというのもありかもしれません。立山駅から富山駅に向かう、富山地方鉄道もレトロな車両で、車窓から見える秋の農村風景はなんともいえない風情がありました。
2日目(北陸新幹線で富山から金沢へ、午後は金沢市内を観光)
前日の疲れを癒すため、朝はゆっくりすることとしました。でも、せっかく富山に来たので宿泊ホテルの近くにあった、富山城と路面電車は乗るようにしました。この日は午後から金沢入りをします。兼六園の観光を楽しみにしていました。
富山を去る前にもう一つ楽しみにしていることがありました。遡ること約15年程前のことでしょうか。私は単身で海外旅行をしたことがありました。その時の国をA国とします。
日本からA国に向かう飛行機の隣に座っていた方と友達(Bさん)になり、今日まで繋がりがありました。Bさんは富山在住のため、今回の富山訪問を機に再会することにしました。お互いの顔も忘れかけているような状態ですが、再会するとすぐにわかりました。短い時間ではありましたが、一緒にランチ後、私は富山を後にすることになります。
金沢駅に着くとまずは、兼六園に向かいました。駅から歩いていけない距離では無いので、徒歩で行くことにしました。途中、中間地点にある「近江町市場」にも寄りました。
そんなに広くない路地に人がたくさんいて、賑わっており、あまりの密集ぶりに少し戸惑いを覚えましたが、金沢市民の台所である市場の盛況ぶりを短時間でありますが体感できたと感じています。
「近江町市場」を抜けると、広大な「金沢城公園」を通り、ついに「兼六園」の桂坂口が見えてきます。マップを見ると「兼六園」の入り口は6つあるようです。どこから入ろうと成行に任せて、全く決めてはいませんでしたが、公園を抜けると一番近い入り口がここでした。
庭園と言えば、岡山の後楽園、水戸の偕楽園、金沢の兼六園が日本三名園と言われていますが、近くを通ったことはあってもこの三名園に入園したことは一度もありません。
いずれも江戸時代に大名が造った庭園ですが、今現在でも優れた景勝地として、多くの観光客が訪れる場所になっています。加賀百万石と言われるくらいですから、藩主の前田家が代々、権勢を奮いつつ、庭園を造り、守ってきたのでしょう。
特に予備知識を持ち合わせていなかったので、旅行会社を通じて申し込んだ特典で無料ガイドさんからの話しを聞きながら園内を廻ることにしました。
歴史的な話も然(さ)ることながら、説明の中で記憶に残っているのは次のことです。
・「霞ヶ池」には、テレビカメラが常設で設置されおり、テレビ中継の際は映し出される。(江の島でいう、ライブカメラのことです。)
・その敷地の管理者は、前田家から国へ、国から金沢大学へ、金沢大学から県へと変遷してきた。(少しうろ覚えですが、こういう趣旨の説明があったと記憶しています。もしかしたら、「金沢城公園」と「兼六園」を含めた広大な敷地の所有者の変遷という意味かもしれません。)
・「霞ヶ池」の「虹橋」は超有名な撮影スポットとなっている。(実際、当日行列ができていました。きっと、インスタ映えするのでしょう。)
・富山は太平洋戦争で空襲を受けたが、金沢は空襲を受けなかった。(理由は不明ですが、歴史的文化施設が破壊されずに済んだことを意味します。)
・「兼六園」の語源は、景観の六勝を兼ね備えていることが由来。六勝とは「 宏大(こうだい)」「幽邃(ゆうすい)」「人力(じんりょく)」「蒼古(そうこ)」「水泉(すいせん)」「眺望(ちょうぼう)」のこと(さすがにこれは、覚えられませんませんね・・・)
その後、隣接している「金沢21世紀美術館」にも立ち寄ったのですが、こちらもかなりの激混みで有料施設は断念し、無料で見られる範囲を見ることとし、「ひがし茶屋街」に徒歩で向かいました。
着物のレンタルした男女のカップルや女性達が街中を歩いているのが印象に残っています。
情緒あふれる古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区(今現在、全国で120地区、首都圏は川越と香取の2地区あるそうです。)に選定されています。近年は、外国人にも人気のスポットと思われますが、さすがに見かけなかったです。
全体的な印象としては、金沢市内はとにかく混雑が激しかったです。あくまで私の印象なのですが、東京都内より混雑していたように感じました。でも、この時期の北陸地方の新型コロナウィルス感染者は数字の上では非常に少なかったのも事実です。
3日目(レンタカーを利用して、福井県の代表的な観光地へ)
この日からは、レンタカーでの観光が始まります。なにぶん、土地勘が無いため大きな冒険はできません。4日目の最終日は能登半島方面とし、3日目のこの日は福井県に向かう計画にしました。
どこに行くか? あの有名な岐阜県の「白川郷」へという選択肢もありましたが、短い時間でできるだけ多くの観光地へ行きたいという思いもあったので、まずは、「恐竜博物館」へ向かうことにしました。
ここは、事前予約制となっており、出発前からインターネットで予約していたところです。混雑回避のために時間予約制になっています。
ここは、金沢から約2時間もあれば、十分に到着することができます。日本海沿いの高速道路で行くルートもありますが、内陸一般道ルートを選択しました。このルートは前述の「白川郷」に向かうルートと途中までは一緒です。
山間の田舎道ルートにはなりますが、当日は天気もよく、途中「手取川ダム」にも寄ることができました。
「福井県立恐竜博物館」は、恐竜の博物館としては日本の代表格です。外観はまるで恐竜のタマゴのような形状(故黒川紀章が設計したそうです)をしており、中に入ると、所狭しと人間より大きな恐竜が・・・、実物大?なのでしょう?とにかく、迫力は半端なかったです。
恐竜って子供だけでなく、大人でも、男性でも女性でもロマンを感じるようです。福井の山奥に位置していて、アクセスは必ずしもよくはありませんが、来訪してみる価値はあるかもしれません。
そこからは、また、田舎道を運転しながら、「永平寺」へ向かいます。途中道に迷いそうになりましたが、なんとか到着。そんなに車の量は多くないなあと思っていたら、到着地に近づくと、小さな渋滞が発生。山間のどん詰まりの地点に突如賑わいが現れ、不思議な気持ちになりました。
「永平寺」はとにかくデカくて、広くて、維持管理に相当なお金がかかっているんだろうなという印象を持ちました。(雑な説明ですみません。)「永平寺」の敷地内の紅葉はとてもきれいでした。
この付近の信号は、新潟県と同様、縦型となっていたため、雪深い気候なのでしょう。こういった公共の構造物の形態からも、その土地の気候を読み取ることができます。
この日の最後は、テレビの2時間ドラマのロケ地でも有名な「東尋坊」へ。時間がなくて、遊覧船に乗ることはできなかったけれど、「東尋坊タワー」には登ることができたので、白山連峰、雄島、越前海岸を一望できました。
4日目(レンタカーを利用して、能登半島へ)
最終日となりました。この日の夕方には金沢から北陸新幹線に乗って帰らなければなりません。残された時間はそんなにありませんでした。本当は、輪島、白米千枚田、禄剛崎にも行きたい気持ちはありましたが、断念しました。
今回は「のと里山海道」に乗って、「千里浜なぎさドライブウェイ」を走り、そこから能登島に向かい、「能登島大橋」と「ツインブリッジのと」を通過して戻ってくることにしました。
「千里浜なぎさドライブウェイ」は日本で唯一、砂浜を車で走れる場所です。人生初の砂浜走行を体験しました。通行規制をすることもあるそうですが、当日は何ら問題なく通行できて良かったです。全長は約8kmあります。
「のと里山海道」の山間部は少し、急勾配な箇所があり、運転が若干怖かった記憶が今でもあります。
能登島大橋のすぐ手前に、「能登島大橋ロードパーク」という公園があったので、公園内の駐車場に停めて、徒歩で「能登島大橋」を途中まで歩いてみました。橋上から見える七尾湾や和倉温泉街の眺めは見晴らしは格別。でも橋上ってなんだか怖いんですよね。(笑)
参考情報ですが、「能登島大橋」は1982年に完成し、橋長1050m。「ツインブリッジのと(中能登農道橋)」は1999年に完成し、橋長620mになります。橋が完成するまでは、能登島にはフェリーでしか行けなかったので、橋の完成はこの地域にとっては大変意味深いものがあったのであろうと推測します。
まとめ
3日目までは、ほぼ計画通りに自分が行きたかった場所を訪ねることができて満足です。ただ、4日目の能登半島については、1日で行くのは距離的にも時間的にも困難でした。
次回は機会があれば今回行けなかったスポットを廻ってみたいです。この地域にはまだまだ魅力的なスポットがたくさんありそうなので、この先の楽しみに取っておきます。
楽しかったけど、4日目になると疲れが出てきてしまい、帰りの新幹線を1本早めて帰ってきました。状況にもよりますが、可能ならば旅行から自宅に帰ってきてからプラス1日、体をゆっくり休める休暇日があると良いでしょう。(今回は翌日から仕事でした。)
でも、コロナ禍とはいえ、Go Toを契機として、旅行熱が復活し、日常では味わえない体験ができたのは2020年の収穫かと思います。旅は思い出、経験、感動、癒しになります。時には、嫌なことにも遭遇しますが、また行きたいものです。
昼は冴えない凡人サラリーマン。夜は輝くブロガーを目指して亀スピードで邁進中。
趣味はランニングと家庭菜園。地元のマラソン大会では兎スピードの健脚で優勝回数を重ねています。夢は自給自足。食卓にある野菜は全て自分で育てて、用意したい。
シンプルでスマートな暮らしを目指して、日々思考錯誤奮闘中です。